文明と哲学〈創刊号〜第3号〉
文化における<時間>
敵味方をこえて平和を織る
高坂正顕 -京都学派と歴史哲学-
美のゆくえ
人間であること
良寛への道
立ちあがる白秋
情緒の教育
シェリング著作集
西田哲学選集
京都哲学撰書 1〜15巻
京都哲学撰書 16〜30巻
京都哲学撰書 別巻
燈影撰書
西田天香の世界
西田幾多郎遺墨集
墨海 久松真一の書
随眠 山内得立遺墨集
DVDビデオ 『寸心の世界』
DVDビデオ 『裸足の人』
謎解き漢字 銭形文字
石油とその開発Q&A
教育人間学の根本問題

京都哲学撰書
全30巻
第1期(1巻〜15巻)

◆第1期
【監修】上田閑照
【編集】大峯 顯・長谷正當・大橋良介

A5判・上製・カバー掛け・各巻278頁〜454頁

※ご購入の際には、別途、消費税が加算されます。
表 題 解説・編集 本体価格 発行 頁数
1  高坂正顕
『明治思想史』

 源 了圓
(東北大学名誉教授)
4,300 1999.11 540頁
2  三木 清
『パスカル・親鸞』

 大峯 顯
(大阪大学名誉教授)
3,400 1999.11 324頁
3  田辺 元
『懺悔道としての哲学・死の哲学』
 長谷正當
(京都大学教授)
4,100 2000.01 468頁
4  下村寅太郎
『精神史の中の日本近代』
 大橋良介
(京都工芸繊維大学教授)
4,100 2000.01 476頁
5  九鬼周造
『偶然性の問題・文芸論』
 坂部 恵
(東京大学名誉教授)
3,600 2000.04 358頁
6  鈴木成高
『ヨーロッパの成立・産業革命』 
 川勝平太
(国際日本文化
 研究センター教授)
3,600 2000.04 360頁
7  木村素衞
『美のプラクシス』  
 岩城見一
(京都大学教授)
3,300 2000.07 296頁
8  和辻哲郎
『人間存在の倫理学』
 米谷匡史
(東京外国語大学助教授)
3,300 2000.07 312頁
9  務台理作
『社会存在の論理』
 北野裕通
(相愛大学教授)
3,500
2000.10 334頁
10 【生誕100周年記念出版】
 戸坂 潤
『科学と文学の架橋』
 尾関周二
(東京農工大学教授)
4,300
2001.01 540頁
11  西谷啓治他
『世界史の理論』
 森 哲郎
(京都産業大学教授)
4,200
2000.10 476頁
12  唐木順三
『現代史への試み』
 岡田勝明
(姫路獨協大学教授)
3,800 2001.01 392頁
13  大島康正
『時代区分の成立根拠・
 実存倫理』
 大橋良介
(京都工芸繊維大学教授)
4,000
2001.04 436頁
14  植田寿蔵
『芸術論撰集』−東西の対話−
 岩城見一
(京都大学教授)
3,900
2001.04 412頁
15  高山岩男
『文化類型学・呼応の原理』
 齋藤義一
(大阪大学名誉教授)
4,000
2001.07 432頁

《編者のことば》 《期待のことば》 《特 色》

◆期待のことば◆


梅原 猛 哲学者
この撰書は、主として戦前の京都学派の哲学者のなした 渾身の思索の成果をまとめたものである。 私は若き日、これらの書物を精読し、哲学を学んだ。 今、世界は混沌として、新しい哲学を求める機運は強い。 この時期にあたって、もう一度、この京都学派というより、 日本の哲学者によってなされた思索の真剣さと高さを学ぶことなくして、新しい思想の創造は不可能であろう。


渡邊二郎 哲学者
21世紀を間近に迎える転換期にあって、これから、新たに、 日本の土壌に根ざした哲学的思索が打ち立てられねばならない時に来ていると思う。 外国の哲学思想の研究も大事だが、それらの摂取のうえに、 自国の哲学的伝統を踏まえた思索の努力が、今日求められている。 国際化時代の現代において、日本の哲学的な顔を、世界に向かって示さねばならない。 この度、燈影舎から刊行される京都学派の優れた過去の哲学者たちの遺業の集大成は、 そうした努力のための大切な基礎資料として、大いに役立つと思う。 来し方を省みてこそ、将来の展望も開かれるからである。大いに期待するゆえんである。


粕谷一希 評論家
戦後の日本では、思想の言語が雲散夢消してしまい、生活言語だけが肥大しつづけてきた今日、 われわれは思想言語を語る場をもたない。 この京都哲学撰書は、かつて現存し、戦後失われてしまった思想言語が、 如何に豊かで質の高い普遍性をもっていたかを語ってくれるだろう。 とくに鈴木成高、大島康正、木村素衞など、私にとってはなつかしい顔触れである。 この企画が思想復興の契機となれば幸いである。


木村 敏 精神医学者
心の病を脳の障害に還元せず、それ自体として研究しようとする精神病理学は、 当然ながら哲学と深い関係を持つ。 しかしそれは多くの大学の哲学科で行われているような「哲学学」ではなく、人間の生き方、物の見方などについての新しい理解の方向を探る思索という意味での哲学である。 そしてそれは西田幾多郎以来の京都哲学がつねに歩み続けてきた道でもある。いまその集大成を手もとに置けるということは私にとって何よりの喜びである。