文明と哲学〈創刊号〜第3号〉
文化における<時間>
敵味方をこえて平和を織る
高坂正顕 -京都学派と歴史哲学-
美のゆくえ
人間であること
良寛への道
立ちあがる白秋
情緒の教育
遣わされて来た人 西田天香
西田哲学選集 一部絶版
京都哲学撰書一期 一部絶版
京都哲学撰書二期 一部絶版
京都哲学撰書 別巻
燈影撰書 一部絶版
西田天香の世界
西田幾多郎遺墨集
墨海 久松真一の書
随眠 山内得立遺墨集
DVDビデオ 『寸心の世界』
DVDビデオ 『裸足の人』
謎解き漢字 銭形文字
石油とその開発Q&A
教育人間学の根本問題
 
 
 

京都哲学撰書
全30巻
第2期(16巻〜30巻)

◆第2期 【監修】大峯 顯
     【編集】長谷正當・大橋良介・野家啓一・松丸壽雄

A5判・上製・カバー掛け・各巻278頁〜454頁

※ご購入の際には、別途、消費税が加算されます。
表 題 解説・編集 本体価格 発行 頁数
16  西谷 啓治
『随想集 青天白雲』

 佐々木徹
(追手門学院大学教授)
3,600 2001.07 340頁
17  高橋 里美
『全体性の現象学』
 野家啓一
(東北大学教授)
4,000 2001.10 434頁
18  三木  清 絶版
『創造する構想力』
 大峯 顯
(大阪大学名誉教授)
4,100 2001.10 452頁
19  今西 錦司
『行為的直観の生態学』
 中村桂子
(JT生命 誌研究館副館長)
4,200 2002.02 454頁
20  高山 岩男
『超近代の哲学』
 花澤秀文
(岡山県立西大寺高校教諭)
4,200 2002.02 436頁
21  久松 真一
『覚の哲学』
 美濃部仁
(明治大学助教授)
3,900 2002.04 412頁
22  山内 得立
『隨眠の哲学』
 梅原 猛
(国際日本文化研究センター顧問)
3,500 2002.07 320頁
23  三宅 剛一
『人間存在論の哲学』
 酒井 潔
(学習院大学教授)
3,900 2002.07 436頁
24  和辻 哲郎
『新編 日本精神史研究』
 藤田正勝
(京都大学教授)
3,500 2002.04 324頁
25  高坂 正顕
『歴史的世界』
 長谷正當
(京都大学名誉教授)
3,600 2002.10 352頁
26  唐木 順三
『三木清・無常』
 松丸壽雄
(獨協大学教授)
4,200 2002.10 452頁
27  下村寅太郎
『精神史としての科学史』
 野家啓一
(東北大学教授)
3,900 2003.02 424頁
28  西谷 啓治
『神秘思想史・信州講演』
 薗田 坦
(龍谷大学教授)
3,400 2003.02 278頁
29  久松 真一
『藝術と茶の哲学』
 倉澤行洋
(神戸大学名誉教授)
3,900 2003.04 448頁
30  九鬼 周造
『エッセイ・文学概論』
 大橋良介
(大阪大学大学院教授)
3,500 2003.04 320頁

《編者のことば》 《期待のことば》 《特 色》

◆期待のことば◆


梅原 猛 哲学者
この撰書は、主として戦前の京都学派の哲学者のなした 渾身の思索の成果をまとめたものである。 私は若き日、これらの書物を精読し、哲学を学んだ。 今、世界は混沌として、新しい哲学を求める機運は強い。 この時期にあたって、もう一度、この京都学派というより、 日本の哲学者によってなされた思索の真剣さと高さを学ぶことなくして、新しい思想の創造は不可能であろう。


渡邊二郎 哲学者
21世紀を間近に迎える転換期にあって、これから、新たに、 日本の土壌に根ざした哲学的思索が打ち立てられねばならない時に来ていると思う。 外国の哲学思想の研究も大事だが、それらの摂取のうえに、 自国の哲学的伝統を踏まえた思索の努力が、今日求められている。 国際化時代の現代において、日本の哲学的な顔を、世界に向かって示さねばならない。 この度、燈影舎から刊行される京都学派の優れた過去の哲学者たちの遺業の集大成は、 そうした努力のための大切な基礎資料として、大いに役立つと思う。 来し方を省みてこそ、将来の展望も開かれるからである。大いに期待するゆえんである。


粕谷一希 評論家
戦後の日本では、思想の言語が雲散夢消してしまい、生活言語だけが肥大しつづけてきた今日、 われわれは思想言語を語る場をもたない。 この京都哲学撰書は、かつて現存し、戦後失われてしまった思想言語が、 如何に豊かで質の高い普遍性をもっていたかを語ってくれるだろう。 とくに鈴木成高、大島康正、木村素衞など、私にとってはなつかしい顔触れである。 この企画が思想復興の契機となれば幸いである。


木村 敏 精神医学者
心の病を脳の障害に還元せず、それ自体として研究しようとする精神病理学は、 当然ながら哲学と深い関係を持つ。 しかしそれは多くの大学の哲学科で行われているような「哲学学」ではなく、人間の生き方、物の見方などについての新しい理解の方向を探る思索という意味での哲学である。 そしてそれは西田幾多郎以来の京都哲学がつねに歩み続けてきた道でもある。いまその集大成を手もとに置けるということは私にとって何よりの喜びである。